122 号 2025年8月発行           

  『新・未来をひらく歴史』でひらく東アジアの未来
              
大日方純夫(早稲田大学名誉教授)


 私は2002年8月以来、日本・中国・韓国のメンバー約 人とともに、日中韓3国共通の歴史教材づくりを進めています。まず2005年5月、『未来をひらく歴史』を三国で同時出版し(高文研)、さらに2012年、『新しい東アジアの近現代史』上・下を出版しました(日本評論社)。そして、間もなく三段階目の本、『新・未来をひらく歴史 東アジア3国の近現代史』を出版します(9月初め、高文研)。足かけ 年にわたり、日中韓3ヵ国交替で合計 回の国際会議(全体会議)を重ね、討論と交流を深めながら意見調整をはかってきました。

◆80年前の「8月15日」

 今回出版する本は、問いを重視し、写真・図など、さまざまな資料で過去を読み解きながら歴史に迫っています。たとえば、「第Ⅲ部現代世界と東アジア」「第1章 戦後国際関係の変化と民衆」の「第1節 8月 日は何の日か」は、つぎのように始まります。
「3枚の写真は第二次世界大戦終結後に重慶、京城(現ソウル)、東京で撮影されたものです。喜んでいる人もいれば、うなだれている人もいます。それぞれどの都市で撮影されたものだと思いますか。また、あなたがそれぞれの写真の場所にいたとしたら、どう感じたでしょうか。」
この節では、日本敗戦の日、東アジア各国の人びとが何を思ったのか、戦争は本当に8月 日に終わったのか、なぜ戦後処理は今も終わっていないのか、なぜ故郷に帰れた人と帰れなかった人がいたのか、を考えています。

◆「国際社会において、名誉ある地位を占めたい」

  2025年の『未来をひらく 歴 史』で、私たち日本側委員会は日本の 読者に対し、「この本を、自国の歴史を克復し、 東アジアの視野か ら歴 史を学ぶためのステップにしていただけることを願っています。『国際社会において、名誉ある地位を占めたい』(日本国憲法前文)という思いを実現するため、歴史に学び、中国・韓国の人々との交流をもっともっと広げていきましょう」と呼びかけました。
20年後の今、「日本ファースト」の声と排外的な空気が強まるなか、いよいよその思いを強くしています。
『新・未来をひらく歴史』は、19世紀半ばから現在まで、約180年間の日本・中国・韓国を中心とする東アジアの歴史を扱っています。戦争や植民地支配の問題が重要な位置を占めるのはもちろんですが、日中韓3国の対立・葛藤・差異だけでなく、共同・和解と共通性に注目し、3国の民衆に目を注ぎ、女性への視線、子どもたちへの視線を大切にしています。そして、最後の節「東アジアの平和のために何ができるのか」は、つぎのように結ばれています。
「東アジア、そして世界の平和な未来をつくるために、私たちはいま何を学び、何を考え、どう行動すべきでしょうか。そのヒントとして、本書で取り上げた一つ一つの事実や、過去の人びとの声、そして対話を試みた3国の若者たちの声を知り、あなた自身がどう歴史と向きあっていくかを考えてみてください。」
 この本を〝活用〟して、国境を越える豊かな歴史認識を育て、対話と交流を重ねながら、連帯の絆がつくられていくことを願ってやみません。
 

 

被爆80年 今、迫る危機と
    『NAGASAKI 1945~アンゼラスの鐘~』

                                            監督 有原誠治 

 第一次世界大戦の犠牲者は世界で約1700万人。第二次世界大戦の犠牲者は、広島長崎の原爆犠牲者を含めて8500万人と伝えられています。増え続ける戦争犠牲者と核兵器の登場に、人類生存の危機を感じた国際社会は、1945年6月に「武力による威嚇や行使を慎む義務」などを明記した国連憲章を採択。その憲章にもとづいて10月に国連(国際連合)を発足させ、国際間の諸問題を話し合いで解決する道を切り拓きました。 
 それから80年。昨今の国際情勢は、まるで悲惨な戦争体験と教を忘れたかのような事態に。核兵器を保有し、その使用もありうると脅かしながら、隣国を侵略をするロシアやイスラエル。イスラエルを軍事力で支える核大国アメリカは、イランの核施設を一方的に破壊。核保有国であるインドとパキスタンの紛争緊張も強まっており、核戦争への危機が世界各地で高まりつつあります。
被爆国日本においても、自衛隊が「台湾有事」の机上演習で、「核の脅威」で対抗するように米軍に求めていたことが報道(7月28日東京新聞)されました。7月の参議院選挙では、「核武装が安上が訓り」と公言する政治勢力が台頭するなど、核軍拡と核戦争への歯止めがかつてなく際どい状況になっています。過去の戦争や被爆体験を学び、平和憲法に根ざした教育や文化活動がきわめて大切な課題になっています。 

◆長崎で『アンゼラスの鐘』の上映鑑賞運動

  長崎市民は、被爆80年平和祈念「『NGASAKI 1945~アンゼラスの鐘~』長崎県内中学生一万人観賞プロジェクト」を立ち上げました。市民から資金を募り、作品の冒頭に「原爆の悲劇は長崎で終わりにする」「日本被団協がノーベル平和賞を受賞」などのキャプションを挿入したDVDとブルーレィを作製、県下の中学校に贈呈する運動です。ここ練馬区においても区民の共同による「良い映画を観る会」が、8月 日に練馬区立生涯学習センターにて『NGASAKI 1945~アンゼラスの鐘~』(以下『アンゼラスの鐘』)を上映します。

◆原作『長崎原爆記』との出会い

 私は、1992年に虫プロダクションで、広島のサダコストーリーをアレンジした短編アニメーション『つるにのって』(28分)を監督しました。そして、虫プロからほど近い練馬区立図書館に通って、長崎被爆に関する本を探し、そこで出会ったのが『被爆医師の証言 長崎原爆記』(1966〔昭41〕年 秋月辰一郎著)でした。  
 
◆残留放射線の恐怖 

 『長崎原爆記』は、爆心地にほど近い丘に建つ浦上第一病院の医師だった秋月辰一郎氏の体験記です。原爆投下により、秋月医師の務める病院は爆風と火災に襲われます。建物は堅牢なレンガ造りだったために、焼け残ります。奇跡的に助かった秋月医師と病院スタッフたちは、傷つき助けを求める人々への救護活動を始めます。しかし、医療器具や薬を炎に奪われ、医療従事者として無力感に苛まれます。やがて、秋月たちも得体のしれない病状に襲われます。キノコ雲の下で、運よく生き残ったと思った人々を次々と襲う残留放射線の恐怖を、秋月医師は臨場感たっぷりの筆致で描いていました。これこそ、アニメーションにして伝えるべきことだとの想いが、私の中に立ち上がりました。

◆『アンゼラスの鐘』製作も苦闘の連続

2004年の1月に、私は「長崎原爆記」のアニメ化の許諾を得るために長崎を訪問しました。秋月先生は病床にあって、対話をすることは叶いませんでした。奥様の秋月寿賀子さんが、「秋月は本が世界にひろがることを願っていましたから、喜んでいると思いますよ」と、アニメ化の提案を歓迎して下さいました。そこからの製作は、文字通りの悪戦苦闘でした。作品は 分以内、製作費を一億円と見込んだプロデューサーたちと、幾度か長崎市を訪問して製作支援をお願いし、賛同する市民の方々による製作委員会を立ち上げて頂きました。しかし、思うように資金が集まらず、プロデューサーたちは苦戦。矛先は監督の私に「金がないので絵を動かさないで」と。 
 観客はハッピーエンドを期待します。しかし、人間に刻印された原爆被害にハッピーエンドはありえません。ラストシーンをどうしたものかと想い悩みました。秋月先生は晩年、長崎市平和推進協会の理事長となり、核兵器廃絶のために尽力された方でした。そこでアニメーションのラストでは、病院スタッフと患者までもが立ち上がり、スクリーンから観客に向かって「私たちは、核兵器は人類と共存できない悪魔の兵器であることを、この身を持って体験したのです。」と述べて終えることにしました。 
 
◆『アンゼラスの鐘』の活躍

 2005年の9月に完成した作品は、ドイツやフランス、シンガポールのアニメーション映画祭から招待があり、英字幕版がつくられて国連やニューヨーク市内でも上映されました。ニューヨークのセントルークス校の中学生たちは、鑑賞後に話し合って「核兵器予算の削減を」と、ヒラリー・クリントンに会って嘆願しました。ブラジルの被爆者協会は、ポルトガル語字幕入り作品をつくって、サンパウロの小学校、中学校、高校、大学で上映しました。私が期待した以上に、『アンゼラスの鐘』は
世界で活躍しました。
 映画の『NGASAKI 1945~アンゼラスの鐘~』のタイトルの「NGASAKI 1945」は、秋月先生が書かれた「長崎原爆記」の英語版のタイトルです。「アンゼラスの鐘」は、「長崎の鐘」で知られた浦上の天主堂の鐘の名称です。鐘が仏製だったためにアンゼ(ジェ)ラスの鐘と。英語ではエンゼルの鐘になります。

 

「命がいちばん」連鎖する心の傷 PТSDの日本兵と家族
                  『戦争と性』 号(谷口和憲発行)より

  「PТSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」を創設した黒井秋夫氏は、『戦争と性』 号(谷口和憲発行)に会発足の動機をこのように述べています。
 「私の父は 歳で徴兵され 歳で復員するまで、2回約7年間従軍しました。父は戦争体験は殆ど話さず、1日中口を閉ざし、笑顔のない暗い人間でした。日雇いの工事作業員として働き、場所を転々として定職につくことはなく5人家族は貧乏でした。私は「父のような男には絶対なるまい」と心に誓い、尊敬の心もなく、情愛が通う親子関係もありませんでした。
 2015年 月、私はベトナム戦争の米軍帰還兵、アレン・ネルソンさんのDVDを見ました。〝戦争でPТSDを発症し、家族への暴力で家族関係も崩壊させてしまった〟と話すアレンさんの悲痛な顔と暗い父の顔が重なり、父も戦争でPТSDを発症したのではないかと雷に打たれたような衝撃を受けました。
 父が残した『満州事変記念アルバム』には〝無口で暗い顔の父〟とは全く違う 歳の父──使命感に燃えた若者の父がいたのです。兵士時代の父と、戦後の陰鬱な父は全く別人であり、戦争体験が原因でPТSDを発症し、終戦を堺にすっかり人間が変わったのではないかとの考えにたどりつき、2018年1月にブログを開設し、『PТSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会』の設立を宣言しました」。

 ◆壊れた心にショックを受ける 

『戦争と性』には、数々の戦争体験や戦後の平和運動などに携わってこられた方々が寄稿されていて、どの記事も重く心に響きますが、父親のPТSDに苦しまれたFさんの記事には衝撃を受けました。PТSDというのは人間をここまで壊してしまうのかショックでした。そこで、PТSDに焦点を絞って、黒井さんとFさんの記事の一部を抜粋しながら紹介させていただくことにしました。

 ◆Fさんの手記より

 「父は酒を飲むとちゃぶ台をひっくり返すか、私と兄を立たせて〝今からみんなで死のう〟と言って、プロパンガスの栓を開ける。ガス臭くなると母が〝死ぬならお前だけ死ね!〟と叫んで栓を 閉める。
 父の酒はどんどん増えて、さらに幻覚、幻聴がひどくなり、夜寝ている子どもの布団を剥ぎ取って、子どもを柱やふすまに向かって放り投げる、踏みつける、追いかけ回す。すごい形相で見えない敵と闘っているようだった。兄と私は酒を飲みだす父の表情が、まるで〝大魔神〟のように変化してくると、先に押し入れや、屋根裏に隠れていたこともある。いつか新しい家のふすまや壁は破れたり、穴があいてボロボロになった。ふすまが歪んで開きにくくなっていた」。

◆連鎖する暴力

 Fさんは泥酔した父親に刀を振り上げられたこともあったということでした。彼女たち兄妹は、父親が亡くなったとき「お父ちゃんが死んだ。やった!」「これでご飯が食べられる。ゆっくり眠れるね!」となんべんもバンザイをしたそうです。
 実は、Fさんは父親から性的な虐待も受けていたのですが、父亡きあと、兄からも父と同じことをされ、その兄も父親と同じように酒に溺れ、荒れた生活を送ったと書いています。
  歳のときにFさんは父親の死が「首吊り自殺」だったことを知ってショックを受けます。彼女は「自分の心をどう処理していいかわからなくなり、自暴自棄の感情に支配され、感情の起伏が激しくなって自分の娘を投げ飛ばしたこともある」と書いています。
 しかし、Fさんはふとしたきっかけで虐待や暴力に関する講習会や研修会に参加するようになります。それによって自分が気づかなかった「虐待の連鎖」を知り、CAPプログラムに参加して学び、CAPスペシャリストとして活躍するようになります。
 こうした活動の中で、父親のアルコール依存の行動が戦争と結びついていたことを知ります31歳のときでした。

◆つながった父と戦争と私(Fさんの手記より)

 「映画『天と地』(1993年、オリバー・ストーン監督)との出会いだった。ベトナム帰還アメリカ兵とベトナム人女性が結婚してアメリカに住むのだが、彼は日増しに戦争PТSDをかかえ、震えたり、寝汗をかいたり、大声を出す。最終的には全裸になって銃で自死するのだが、その経緯が父を彷彿とさせるものがあった。
 『これお父ちゃんだ!』と思った。父の奇行は戦争によるPТSDであると初めて気がついて、ありし日の父の行動が腑に落ちた。
 父と関わった家族は、いま思えば、父にもどうすることもできない戦争体験のトラウマで、わけがわからないままに、父の暴力にさらされてきた。無我夢中で私たちは生き延びて、やっと世間並の生活に馴染んできた。私のような子ども時代の暮らしはおかしいと思う。そこに巻き込まれた私たちの、家族としての生活すらできず、その日その日をただ生きることだけに費やされた時間や、父が自死しなければならなかった理由も国に問いたい。
 大日本帝國の起こした戦争によって一人の人間として幸せに生きる権利を奪われた父をはじめ、数百万の元兵士。日本の都合で戦争中は『日本人』として徴収され、敗戦後は『外国人』として、丸裸で放り出されたアジアの人々がいる。アジア太平洋地域への侵略戦争の反省も謝罪もないまま、日本が仕掛けた戦争で、多くの悲劇を生み、未だに解決されていない」。

◆PТSDの発症と原因

 黒井さんは指摘します。
 「ベトナム戦争などに派遣された米軍資料では、概ね %〜 %の帰還米兵がPТSDを発症しています。800万人の従軍日本兵に当てはめると、160万人〜400万人となり『家族会』はおよそ300万人前後の日本兵がPТSDを発症したと類推しています。
 PТSDの日本兵の問題は、日本国家に戦争と兵役を強制され、過酷な戦場体験により精神を壊し、PТSDを発症した戦争犠牲者であり、暴力を振るわれたりした妻や家族もまた戦争被害者であるととらえることが、私の出発点でした。しかし、『PТSDの日本兵の存在と家族の問題』は国家に戦争を強制された被害者であるという面だけではPТSDを発症した根本原因にはたどりつけません。日本人だけが当事者ではないからです。
 PТSDの日本兵の心の奥底に何百万、何千万というアジア・太平洋戦争で命を奪ったアジア諸国、連合国の人たちとその子孫の怨念の声が存在することを知る必要があります。同じように、従軍慰安婦の問題や、戦場での日本兵の婦女暴行・強姦を考慮しないで、父親や祖父たち従軍した日本兵の心の内を理解することもできないでしょう。日本が起こした戦争の全体像を把握することはできないでしょう」。
 「PТSDの日本兵家族会寄り添う市民の会」は、証言集会を開催、小学生、中学生、高校生、大学生や若い人を対象とした講演会や学習会を開催するなどの活動を続け、また中国を訪問して謝罪し、市民同士の平和交流を進める活動を続けておられます。
 黒井さんは訴えます。
 「家族会市民の会は訴えます。日本人である私達は二度と戦争はいたしません、もしも戦争という事態になったら誇りを持って白旗を掲げます。戦争のない世界をめざしましょう!」     

 

都議会議員選挙、参議院選挙の結果と今後の取り組み
                    憲法を座標軸の中心に

  6月20日都議会議員選挙が、7月 日に参議院選挙が行われました。これらの選挙の結果は、前の衆議院選挙に続き、与党の自民、公明が大幅に後退し、金権腐敗政治NOの審判が下りました。これに代わって、国民民主、参政党が大幅に議席を占め、共産が後退、立憲民主、維新などが横ばいという状況になりました。ねりま九条の会は、改憲勢力が後退することを目指して、独自のポスター千枚、チラシ2万枚を作成し、都議選までに貼りだし、全戸配布などを行ってきました。駅頭宣伝は都議選で11回、参議院選挙では20回に及びました。しかしSNSを活用したデマと、過激な外国人排撃のキャンペーンで、右翼の台頭を許してしまいました。ねりま九条の会は、練馬区役所の国保課や福祉事務所に問い合わせて、外国人の国保滞納率 %や、福祉ただ乗りが全くの嘘だということを確認して宣伝しました。
 逆に能登半島地震の復旧にフイリピンなど、外国人が何か月も泊まり込み、地震前には、漁業や農業の働き手としてベトナム人などが大きな役割を果たし、地震の復旧と、私たちの食卓と、財源を守ってくれている実態を知らせ、日本人がやらない仕事を外国人が担っていることへの感謝と、共生を訴えました。
 全国知事会も、住民としての外国人との多文化共生の決議をし、差別排外を非難しています。日本に来る外国人は、他国にはない日本人の清潔さ、治安の良さ、親切、思いやりに深く感銘しているのに、こうした差別排外は、日本のイメージをダウンさせる、卑劣な行為で、絶対に許せません。                                               ねりま九条の会事務局長 大柳武彦
◆外国人に向けられる不満のはけ口
 
こうした背景には、 年間賃金が上がらず、年金など将来に希望が持てず、農業切り捨て、環境破壊に多くの若者が、不満のはけ口を外国人に求めたと思われます。原因は自、公政権にあります。
 その裏には、1にアメリカ、2に財界、3に右翼があるといわれますが、日本の戦後政治を言い当てています。
1、アメリカ言いなり、トランプ政権の対日要求について、朝日新聞は一方的と抗議しつつも、50%の関税を25%にさげたことを評価し80兆円の対米投資や、農作物の輸入、100機の飛行機輸入、兵器の輸入について、アメリカによって日本が守られている安全保障を考えるとやむを得ない、という態度で、日米軍事同盟絶対という政治、マスコミ界を代弁しています。今後、中小企業の単価引き下げ、労働者、農民へのマイナス影響が予想され、景気の低迷は避けられないでしょう。
2、財界奉仕、日本国民の多くが原発NOを望んでいますが、政府は原発再稼働と新設を決めました。その背景には原発企業からの自民党などへの多額の政治献金があります。また兵器産業からの自民党への9億円の政治献金が、兵器の輸出を認める法改正を実現させました。まさに死の商人、憲法九条違反です。また財界が消費税導入と法人税減税のために、莫大な自民党への献金を行いました。トヨタなどのグローバル企業のために、日本農業を犠牲にしてきた付けが、コメ不足に現れました。強欲資本主義は、物言う株主が、利益がなくとも、資産を売却してでも配当を求めるようになっており、とことん賃金は押さえられ、格差は何百倍も開きました。こうした血も涙もない資本主義が今の日本です。
3、参政党、日本保守党の躍進は、右翼の台頭を示しています。生活の苦しさは、外国人の優遇にあるという嘘と、外国人への不安を掻き立てていますが、差別、排外によって日本国民の生活がよくなるわけがありません、各界から非難の声が上がっています。参政党の憲法案から見えてくるのは、天皇君主化と臣下としての国民、国家あっての国民という国家主義、スパイ防止法、教育勅語、家族制度、大日本帝国憲法の復刻版という代物ですが、世界の右傾化と同調していて危険です。

◆日本国憲法を活かす

 ねりま九条の会は、この選挙にあたって、政治に必要なのは日本国憲法を活かすことを訴えてきました。
 憲法九条に照らして、自衛隊は専守防衛から先制攻撃の軍隊になり、憲法違反。在日米軍はその他の戦力にあたり、日本防衛ではなく、世界の戦争の発信基地で憲法違反、日米地位協定はもちろん日米安保条約廃棄すること。日米軍事同盟を認めることは、米中戦争を日本が肩代わりすることになると批判してきました。また、辺野古の埋め立て、沖縄列島のミサイル基地化反対を呼びかけました。 憲法 条の生活権の保障では、生活保護費の %カットは違法との最高裁判決を示し、年金問題では、他国には例のない6年分に及ぶ年金基金のため込みに、年金減額に根拠がなく、物価スライドに戻すことを求めるとともに、最低保障年金制度の創設を国連から指摘されていることもあり、年金者組合が求める誰もが8万円の最低保障年金に、国民年金、厚生年金の上積みを求める運動を提起しました。これには多くの人から拍手が送られました。
 また保険料を払いながら窓口で医療費を払うのは二重払いでおかしい、外国並みの無料を訴えました。さらに、保険あって介護なし、国の訪問介護報酬の引き下げで事業所は赤字で廃業、要介護者はどうなる、と国の無策を訴えました。
 また、食料自給率を上げるためにも、第一次産業を守らなければなりません。真の安全保障は食糧の自給です。農業、林業で食べていける所得補償、価格保証を訴えました。
 憲法14条、法の下の平等に照らすと、税制は、累進課税と生活費非課税が原則です。高い人からお金を取って、低い人に配る所得の再配分が税制の目的。消費税は最高の不公平税制だから廃止すべきと訴えました。代わりの財源は大企業の内部留保600兆円、株の配当利益に対する課税 %を外国並み %にと訴えました。
 人権問題では憲法13条、24条、同性婚を認めないのは憲法違反という高裁判決。選択的夫婦別姓が家族の一体性を壊すというが、根拠がないことを世界の例をも示して反論しました。
 憲法前文、諸国民との協和による成果、資源のない日本は、貿易で経済が成り立っています。相互尊重、互恵が原則です。助けてくれる国を攻める国はあり得ません。国を守るのに武力ではなく、相手を助けることで国を守ることに決めた憲法こそ、戦争で苦しんだ日本国民の選択であり、正義であると訴えました。

 ねりま九条の会は、都議選、参議院選にあたって「命がいちばん」として、人権教育の必要と、災害対策の遅れを指摘しましたが、待ったなしの課題となっています。
 憲法を座標軸の中心に置いた政治の復活のため、憲法を普及し、憲法に照らして日常の問題解決を探求し向上を図る必要があります。まさに九条の会の出番です。改憲勢力が3分の2を占めた参議院ですが恐れることはありません。地域から共同を広げましょう。また 選挙区で立憲民主党と共産党の統一が実現し、12選挙区で勝利したことが、自公の後退になったことを踏まえて、今後も市民と野党の統一を追求していくことが必要です。

 

      「親子で読みたい平和絵本」
『へいわってどんなこと?』浜田桂子[作]、童心社

                                               桜台9条の会 前田 瑠

 本書は日中韓の絵本作家 人が戦争と平和をテーマに一人一冊ずつ絵本をつくる、というプロジェクトから生まれました。
 見開き2ページの絵に短い文が添えられて、「へいわ」の条件が簡潔に語られていきます。
 「せんそうを しない」ということばと真っ黒な飛行機が全面に描かれたページで、5歳の娘の「せんそうってなにするの?」という問いかけに、私は「相手の国の人を殺したり、自分たちも殺されたりするよ」と答えました。著者浜田氏によればこのページには「被害だけでなく、加害をしてきた歴史がある」、というメッセージが込められており、それは日中韓の絵本作家たちとの共同の絵本作りの中でうまれた価値観だといいます。
 「ばくだんなんか おとさない」というページでは、娘は人を殺すための道具があるということに非常に驚き、読後には「せんそうはしない、ぶきはもたない」と力強く言っていました。
 簡潔な文だからこそ、さまざまな疑問や会話が生まれます。ただ読み聞かせるだけでなく、本を開いて立ち止まり「へいわ」について一緒に考えたい、そんな絵本です。

 シリーズ全12冊。室内で過ごすことの多い残暑の頃、大人も子どももじっくり取り組みたい重厚な作品が揃います。

 

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